本日は、朝から会津若松の市内を観光します。
天候は、雨ではありませんでしたが雪が降っていました。。。
観光ルートなんぞ事前に調査していなかったため、駅に置かれていた観光マップを参考に市内を観光します。
珍しそうな建物だから写真をパチリ。
新選組の土方歳三が滞在した清水屋旅館の跡地です。
宇都宮城をめぐる攻防で足を負傷した土方歳三が、当時格式の高かったこの宿屋に宿泊し治療したと言われています。
跡地なので特に感動ありません。。。
レオ氏郷南蛮館です。
豊臣秀吉から会津の地を託された蒲生氏郷の洗礼名であるレオという名前のついた観光名所です。
地震の影響で閉館中でした。。。
海産物が「渋川問屋」に運ばれてきて会津一円に運ばれていった拠点とのことですが、全く興味がわきません。
しかし、明治38年生まれの渋川家長男・善助が、昭和11年の二・二六事件に民間人として加わり、処刑されたとのことには興味がわきました。
当初の目的地は、ここ「阿弥陀寺」です。
ここには、新選組の斉藤一(藤田五郎)の墓があります。
この人は、沖田総司、永倉新八と並ぶ剣客で、池田屋事件にも参戦し、鳥羽伏見の戦い等を経て、会津若松城下に入り、負傷した土方歳三に代わって新選組隊長となった人物。
大河ドラマでオダギリジョーが演じていたので興味がありました。
野口英世の青春館へ向かう途中に見つけた「末廣酒造」です。
なんとなく、このラベルが記憶にあったので途中で寄ってみました。
ちなみに自分はアルコールを飲めません。。
友人がどうしてもというので会陽医院跡に行きました。
自分は野口英世の事があまり好きではありません。
好きではない理由は、野口英世の論文はねつ造であったのではと疑われ、お金に汚く、人柄も良くなかったとも言われていることを事前に知っていたためです。
本当の野口英世とは、どういう人物だったのでしょうか?
この後、赤い瓦で有名な「鶴ヶ城」へ向かいました。
鶴ヶ城の天守閣で「磐梯山」はどこだろう?
白虎隊が自刃した飯盛山はどこだろう?
とさまよっていた時に撮影した1シーンです。
天気が悪かったからかもしれませんが、会津若松は想像していた街とは違って、見所の少ない街という印象が残りました。